日々ヶ岳

行雲流水

時間をかけただけアウトプットの質が約束されるような仕事はなかった

冬のくじゅう連山

ソフトウェアエンジニアとしてのキャリアの限界

キャリアのスタートは iOS エンジニアで、ときどき Web をつまみ食いしながらも、2020 年まではそのキャリアの大半を iOS エンジニアとして過ごした。

しかし、数多の敏腕エンジニアと一緒に仕事をしているうちに、「この分野はこの人たちに任せた方がよい」と考えるようになった。

たとえば頭の中に思い描いている機能も、自分の技術力が伴わず思うような結果が出ないといったことはザラで、時間をかけただけの成果が出ないことにもどかしさ を感じていた。

そんな葛藤と闘っていたとき、あるきっかけでプロダクトマネージャーになった。ようやくこの葛藤から解放された、ように思えた。

無知の知

プロダクトマネージャーとして過ごした 1 年間は、とにかく考えることと決めることが仕事だった。それもエンジニア時代よりも広い視点で考えて意思決定しなければならない。 どのようなユーザー課題を、どのような優先度で解決するかを考え、そこにどれだけのリソースを投入して、どれだけのビジネスインパクトを得るか。といった具合に、持つべき観点は多岐にわたる。

プロダクトマネージャーの役割は、ビジネス・ユーザー・テックの 3 つが交わるところには居るのだと一般的には説明される。

半年ちょっと過ぎたあたりから、「無知の知」に辿り着いた感触があった。それまで先輩 PdM のやり方を真似したり、ときには自己流でチームを運営していたが、それではうまくいかない場面に何度か遭遇したことで、自分が知らないことに意識が向くようになった。

エンジニア時代に「プロダクトマネージャーになれば、"時間をかけただけの成果が出ないことのもどかしさ"から解放されるだろう」と盲信していた自分は、プロダクトマネジメントという仕事を深く理解していなかっただけで、蓋を開けてみれば結局あのころと同じ葛藤と向き合っている自分がいた。

このとき、プロダクトマネジメントも「時間をかけただけの成果が出ないことのもどかしさ」を感じる仕事なんだと悟った。それもエンジニア以上に。結局のところ、プロダクト開発に関わる以上、これとは向き合っていかなければならないのだろう。

自分の仕事を、代わりの効かない仕事にしなければならない

ここで大切になってくるスタンスが、情熱を持つということなのかなと思い始めた。

コードを書くわけでも UI デザインを作るわけでもない自分がなぜ開発チームにいるのか。それは、確かな価値を世の中に届け、ユーザーをよりよい方向へと導くためではないか。

時には真っ直ぐに「俺が最高のプロダクトを作るんだ」という強い情熱を原動力に、意思決定を繰り返してチームをたしかな成果に導く。

プロダクトマネージャーは、軸を持たないで惰性で仕事をしていると、ただの何でも屋になる。そしてその仕事はいともたやすく代替されてしまうだろう。

エンジニアのころの自分は「自分の仕事はより高いパフォーマンスを発揮できるほかのエンジニアによって代替される」と考えた結果、自分自身のエンジニアとしての価値を下げていた。

プロダクトマネージャーになってもこれは同じことで、自分の仕事は最終的には代替されてしまうのか、それとも唯一無二の価値ある仕事にしていくのかは、自分次第なんだろう。

はっきりとした軸を持てるようになりたい。まだそこは模索段階である。